乗るしかない このビッグウェーブに

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こんばんは。みつしろこと海沼です。

突然ですが、これから日本の時代が来ると思ってます。

つまり文字通り僕らが主役の時代です。

これまでは西欧のフレームを中心とした「支配の時代」
でしたが、

これからはいろいろと違うもの同士が理解しあい共存
していく時代が来ると思っています。

そして、

そこで日本が果たせる役割は非常に大きいと言えます。

この辺をちゃんと説明するには歴史を遡る必要がありますので、
とりあえず世界史の復習と思ってちょっとだけお付き合いください

(^.^)

今回は宗教の話を色々としますが、
まず宗教という言葉の定義を書いておきます。

宗教というのはカルトとかそういうことではなく、

人が生きるために拠り所とする「思想」を意味します。

さて、西欧の歴史を振り返ってみると、
17世紀に入ってキリスト教が弱体化し始め、

その穴を埋めるように登場した宗教が3つあります。

1.科学
2.ナショナリズム
3.共産主義

この3つです。

重要なポイントとして、

キリスト教はもともとユダヤ教から派生して、
イスラム教はキリスト教から派生しましたが(つまり3つはもともと一つ)、

わかりやすくするために・・・

ユダヤ教⇒キリスト教⇒イスラム教 この順ですね。

キリスト教というのは「一神教」の中でも特に「排他性」、
「権威性」が強い宗教だということです。

そしてキリスト教の後を継ぐ形で登場した上の3つの宗教にも
その排他性や権威性は受け継がれたという点ですね。

ちなみにイスラム教が一番排他的なイメージがあるかもしれませんが、
実はコーランの中にキリスト教とユダヤ教に対して寛容であれと
書かれています(条件付きではありますが)。

僕が当時サウジアラビアに住んでた時も
禁酒、禁豚などの戒律はすごい厳しかったですが、

アジア系だからと差別を受けたことはなかったですね~

露店のおじさんとか笑顔で話しかけてくれたし、
みんなけっこう優しかったですよ。

ペルシャ絨毯の上でみんなで羊の丸焼き囲って食べたり、
紅茶飲んだり。水タバコ吸ったり
(僕は未成年だったので吸ってませんが)

あ、でもたまにレストランとかいくとウェイターに

「お前は中国人かそれとも韓国人か?」

と聞かれたことは何度かあります 笑

あれは何だったんでしょう。

とりあえず「日本人です」って答えておきました。

あとたまに日本のテレビ番組録画したビデオとか
航空便で送ってもらってたんですが、

番組やCMで女性の肌が露出する部分だけ丁寧に
消されてたりしました 汗

仕事頑張りすぎw

ビデオテープそのものを没収しないところに愛を感じます。

話を戻しましょう。

1つ目の科学についてですが、

それまで「神学」の研究をしていた人達が
「科学」の研究に方向転換することで始まりました。

これによって科学技術はものすごいスピードで進化することになり
同時に「科学の発展=幸せ」という思想が普及していきます。

ちなみに第二次世界対戦で核兵器が生み出された1945年
が科学という宗教の一つのピークかなーと思っています。

続いて2つ目のナショナリズムですが、
これ自体は昔からあるものですし、もちろん今でも世界中で
受け入れらているものですが、

いわゆる「西欧ナショナリズム」というものが17世紀以降キリスト教の
要素を受け継ぎつつも、

アメリカ独立戦争やフランス革命という形で復活(リバイバル)してきたのです。

ちなみにこれ以前のナショナリズムというのは、
古代ギリシャの都市国家(ポリス)がそれにあたるんではないかと。

そして3つ目の共産主義ですが、

キリスト教が支配していた時代に
積み上がっていった「支配する側とされる側」に対する不満、

社会的な不平等や階級格差に対する「怒り」がきっかけとなって生まれました。

カンタンに言うと、

「こんな不平等な社会は間違ってる!
だから皆が平等に生きられる社会を作ろう!」

という流れから、
皆で社会の不平等を無くそう!という共産主義思想に繋がっていったわけです。

で、改めてここで重要な点をお話しておきたいと思います。

まず上に書いた3つの宗教(科学、ナショナリズム、共産主義)
ですが、

どれもキリスト教が持っていた排他性(一神教)
を継承しているということです。

もっと直接的に言うと、
3つともキリスト教から派生した「異端宗教」なのです。

例えば共産主義では「プロレタリアート」(労働者階級)が
「ブルジョワジー」(資本家階級)を倒して勝利するというストーリーがありますが、

これはキリスト教の「選ばれし民」という選民思想
そのまんま受け継いでたりします。

また西欧の植民地という発想も、
植民地化する国に住む人を基本的には「同じ人間」とみなさず、

また資源や労働力を共有するのではなく完全に「支配」
するところからもキリスト教から受け継いた排他性が見て取れるわけです。

そして実はさらにもう一つ、
過去、文明が発生してから現代(今)までの流れを理解する
上で頭に入れておくべき決定的に重要な点があります。

それは、キリスト教、イスラム教の旧ユダヤ系宗教を含め、
例えば仏教や儒教なども

人間の欲求や欲望を「制御」、もしくは「抑圧」するものなのに対して、

科学、ナショナリズム、共産主義、
さらに資本主義や自由主義という比較的新しい宗教(
新ユダヤ系宗教)というのは、

反対にそれらを開放しようとする方向性を持っていることです。

これは全く「真逆のベクトル」です。

ここ最近のイラク、シリア、レバノン、パレスチナ、イスラエル
などの中東の混乱も、

2008年のリーマン・ショックにしても、

EUで起きているナショナリズムの動きにしても、

中国という大国の覇権拡大も、

近代宗教(新ユダヤ系宗教)の特徴である
「欲望の開放」が関係していると思うのです。

(さらに一神教は前提として対立することも要因の一つ)

1人の人間、国家、集団の中にある欲望を無限に開放していけば、
いずれ他の人間や集団との利害が相反し、対立するわけですね。

それが民族対立や戦争、支配という形で現れます。

そこで、これからの時代のキーワードは

「共存」であると思うのです。

欲望の抑圧でもなく、開放でもなく、
両者を上手く止揚しつつも対立することのない
「共存関係」を作っていくこと。

ビジネスにおいても、人間関係においても、
また国際政治や経済というマクロにおいても
この視点が求められていると思うのです。

と、考えた時に、ふと一つの問いが浮かんできませんか?

日本、さらに言うとその日本に住む僕ら一人一人が果たせる
役割は何か?ということです。

その解に行く前に、
まずは東洋と西洋の違いを知っておく必要があります。

そもそも論として、
西洋と東洋では「公理」そのものが違います。

公理というのは全ての理論の前提となるロジックのことを言いますが、

西洋の場合、

ここまで解説してきたようにユダヤ系宗教の特質である一神教を前提としていて、
基本的に排他的です。

「公理=唯一神」 ですから。

他の要素を受け入れる多様性を持ち合わせていません。

なぜなら他の思想や文化を受け入れるということは、
唯一絶対の神を否定することになるからです。

だからもし他の何かを受け入れるとすれば、
西洋の場合は「公理」そのものを変える必要があるのです。

例えば共産主義がダメだとわかったら、

「みんなが平等な社会なんて無理だったんだ!
じゃみんなが競争すれば理想の社会になるはずだ!」

みたいに公理そのものが入れ替わり、
全く新しい思想体系が出来上がります。

要は「勝つか負けるか」「黒か白か」ということです。

逆に東洋は基本的に汎神教の要素が強い分、
新しい宗教や思想、文化を「公理」を壊すことなく
受け入れる多様性を持っています。

つまり元々「共存」という方向性を含んでいるのです。

汎神教とはあらゆるものに神が内在しているという思想ですから、
外国人だろうが、外国の宗教だろうがそこには相手を尊重する
「態度」があるわけですね。

日本も同じく汎神教の歴史があって、

例えば過去「神道」「仏教」「儒教」などが対立することなく
共存してきた背景がありますし、

また他国の文化に対しても寛容でした。

こういう「相手の立場に立つ」思想が背景にあったからこそ、
社会の中で自己抑制や自己規律が働き

それが「武士道」などを育む土壌となり
自立という内発性を生んだことで

人間の欲望を無尽蔵に暴走させることを防いだんですね。

ここで勘違いしてほしくないのですが、
僕は西洋的なるものを否定しているわけではありません。

科学の進歩によって僕らの生活水準は格段に向上しましたし、
色々な恩恵を実際今も受けています。

生活するにはおカネがいります。

稼がなきゃ食べていけません。

発展のためには競争も必要です。

パソコンや携帯電話も必需品です。

重要なのは、

一見対立する「東洋的なるもの」と「西洋的なるもの」
を否定するのではなく、

どうやって両方取り込みつつ高い次元で弁証法的に止揚させるかのですが、

この難問に対するリーダーシップを発揮していける
国こそ「日本」なのではないかと思うのです。

この地球上で、

他者を受け入れ認める多様性がり、

経済力があり、

素晴らしい文化があり、

おカネという物理的パワーがあり、

平和というインフラがあり、

世界一の対外純資産国であり、

ほぼ単一民族であり、

美しい自然があり、

世界一ご飯が美味しい

こんな国が他にあるでしょうか?

これまでの「西欧型フレーム」から、
今後「共存型フレーム」を作るにあたって、

日本に住む僕ら一人一人の役割は限りなく大きいと思うわけです。

では個人ベースで一体何をすればいいのか?

まず重要なのは、
「自分自身には力がある」ことを自覚することです。

「そう言われても自分には何の取り柄もありません・・・」

と思う人もいるかもしれませんが、
そんなことはありません。

なぜなら今、この時に「日本に住んでいる」というだけでそれはもうものすごい
アドバンテージなのです。

日本という「場の力」を借りているわけですから、
他の国から言わせたらスタート段階ですでに「チートレベル」なわけで 笑

「世界の中の日本という国に住む自分」という次元で考えた時に、
もうすでに僕らはものすごい「力」を持っているのです。

この地球的規模感を是非持ってほしいと思います。

地上に立ってると勝手に重力の作用を受けますが、
それは僕らが重力場にいるからです。

日本という「場」にいる僕らは、
意識してなくても場の力を勝手に受け取っているわけです。

次に、

「リーダーとして誰かのために一歩を踏み出してみる」ということです。

リーダーと聞くと何だか大げさに聞こえてしまうかもしれませんが
そんな大した話ではありません。

人よりも「半歩先」を行くだけでいいのです。

そして、家族や友人、知人など身近な人でいいので、
その人のために一歩を踏み出してみてください。

一歩を踏み出す=価値を提供する

ということです。

「役に立つことをする」とも言えます。

どんな些細なことでも構いません。

料理を作ってくれた嫁さんに「美味しかった!ありがとう」と言ってみたり、
何かで困っている友人に解決策を教えてあげたり、
自分が新しく学んだことをシェアしたり、

これも「価値を提供する」ことに含まれます。

こうやって自分という存在を少しだけ超えてみること。

この態度こそ「共存」の要になります。

相手に先に価値を提供することで、
相手は得をします。

その得をした相手がまた他の誰かのために一歩を踏み出す。

このような一人一人の行動の変化が「共存の時代」を作っていく
と思うわけです。

そして、提供された価値は連鎖的に巡り巡って最終的には自分に
返ってくるのです。

それは「おカネ」かもしれないし、
「ありがとう」の一言かもしれません。

どういう形となって返ってくるかはその時の状況次第ですが、

その報酬が自分自身をより高いレベルへと引っ張りあげてくれます

一方的に奪うのではなく、滅私奉公でただ奉仕するだけでもない

その両方を止揚することでお互いが得をし続ける状態が作られて
その「報酬の循環」はどんどん強化され大きくなり

これからの時代に必要な「共存」という「場」が出来上がっていき、

それがさらには相互作用によって「より良い世界」を作っていくことに繋がります。

この流れを作り出せるのは
日本以外にないのではないかと感じるわけです。

改めていいますが、
この大きな潮流を作り出すのはあくまでも僕ら一人一人です。

今多くの国が、人が、日本に注目しています。

経済政策や経済支援
アニメや漫画、コスプレ
観光
食事
文化

などなどいろいろなカテゴリーにおいて日本は世界に求められています。

それは即ち僕ら一人一人が必要とされているとも言えるわけです。

ならば、

乗るしかないでしょう このビッグウェーブに
(名言をお借りしました)

すでに必要とされているのだから、
あとは自分自身が立ち上がるかどうかです。

まあでも必要とされてるのに応えないというのはちょっと悲しいですから、

だから一緒に立ち上がってみませんか?というお誘いでございます 笑

ちょっとしんどいこともあるかもしれませんが、
それ以上に嬉しい事、楽しい事がたくさん待っているはずですよ。

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